子どもと貧困

こんにちは。
亮介です。

このブログにお越しいただいている方々の大半がお子さんをお持ちの父母の皆様だと思います。

最近、ニュース番組をつけると、ほぼ毎日のように虐待のニュースが取り上げられてます。
別に最近、虐待が増加しているとか、そういう事ではなくニュースに取り上げられるか否かの違いな気がします。
昔からあったはずですから。

僕は、この手のニュースを聞くと胸が締め付けられるような罪悪感のようなものに駆られます。
皆様はいかがでしょうか?

こういう子供達を救う事はできないのか?という単純に社会正義のような気持ちもあり、同時にこんな思いをしている子もいるのに受験だ、学歴だ、教育だと自分の子供に湯水のように金を使っている自分への罪悪感も少なからず感じてしまいます。
ただ感じるだけで、そこから何か行動に起こせるかと言えばそれもできず。自己嫌悪を感じながら、でもまぁ最終的には「自分とは関係のない事」のように扱っているというのが実際の所です。

僕の両親はかなりの放任主義で子供に対してとやかく言う親ではありませんでした。
だから家庭内に家訓とか子供に対しても縛りのようなものは全くありませんでした。
ただし、母親が僕にたった一度だけ言った事があり、いまだにそれを鮮明に覚えています。

「食べるものだけは、子供たちの食べたいものをできるだけ腹いっぱい食べさせてやろう。高価なモノじゃなくていいから。自分たちの子供に腹を空かせてひもじい思いだけはさせないようにしよう」

これはウチの父が母に言った事だそうで、母はこれだけは肝に銘じて子育てをしてきたそうです。

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こどもと貧困

 

アンパンマンの作者、やなせたかしさんはかつてこのように語ったそうです。

”やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が「正義とはなにか」ということです。
正義とは実は簡単なことなのです。
困っている人を助けること。
ひもじい思いをしている人にパンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。
なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。
アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。
アラブにもイスラエルにもお互いの“正義”がある。
つまり、これらの“正義”は立場によって変わる。
でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。
絶対的な正義なのです。”

僕にとっては「正義」というのは、あまりにも大きな話な気がしますが、やなせさんのおっしゃる事はとても心に刺さります。
ウチの両親の言っていることも同じように。

「食べる」というのは人間の根源的な事で、貧困に敵味方は無いという事なのだと思います。
特に自活できない子どもにとって「食べる」事は敵味方なく守られるべきものだと思うのです。

皆さん、1つや2つ毎日チェックしているネットニュースありますよね?例えば、ヤフーニュースとか。

僕の毎日チェックしているニュースの中に西日本新聞さんが連載している「子どもに明日を」という記事があります。

(リンク元:西日本新聞(https://www.nishinippon.co.jp/)

最初は、以下のまとめサイトの方が
読みやすいかもしれません。

(リンク元:西日本新聞(https://www.nishinippon.co.jp/)

内容は読んでいただければ一発で分かると思うのですが、
一言で言うと「子どもと貧困」です。

食べることができない子供。
教育を受けることができない子供。
教育を受けることができないまま大きくなってしまった青年。
それに対するその周りの対応。
そして、最近セーフティネットとして注目を浴びている子ども食堂。

などなど。
ストレートニュースが多いネットニュースの中で、
非常に読み応えのあるコラム的な記事になっています。

子供を持つ僕の胸にはガッツリ刺さります。
世の中の政治家の皆さんの声が、この連載くらい人の心に響けば投票率も上がるんだろうなぁと思いながら。

ご興味のある方がスミからスミまで是非、読んでみてください。
何か思うことが必ずあると思います。


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